基本的にごみのブログ

ゴミとか日常とか

ことば

自分にとって、言葉ってなんだろう。言葉。言葉は武器だと留学パンフレットは言っている。「言葉は武器」という文句が引っかかっている。多分、よく耳にするからだ。引っかかるものは、手がかりにもなる。「言葉は武器」を手がかりに、自分にとって「言葉」が何なのか、洗濯物を干しながら考えていた。今日は、暖かい春みたいな日だ。

自分にとって言葉は「武器」ではないんだろうな、と思う。人間社会の中で、身一つで世界を回る格闘家やダンサー、パソコンがあればどこでも働けるプログラマー。自分が社会を渡るための道具、武器。そんな風な意味が「言葉は武器」の中にも込められているような気がする。

今日、鯨の話を聞いた。海に潜って、息を止め、そっと耳を澄ましていると、鯨の声が聴こえる。慶良間諸島の鯨の声が、沖縄本島まで届く。2000kmむこうから、鯨の唄が聴こえてくる。雄鯨の、雌鯨のための求愛の唄は、生まれ育った土地によっても、一頭一頭も違うらしい。鯨にとっての2000kmと、鯨の何分の1のサイズしかない、人間にとっての2000kmの感覚は随分違うんだろうと思う。人間には聞き取れない声も、鯨には聴こえているだろう。それでも、広大な海の中、一頭でいる時、他の鯨の声を聞いた時にどれだけ素晴らしいだろうか。全然わからない。沖縄を通ってアラスカにむかう鯨は、なぜその道がわかるんだろう。星を見ているんだろうか。鯨の唄を、言葉を聞いてみたいと思った。

アイヌトンコリというものがある。形そのものが人間を表していて、中に入っているコロコロと音が鳴るものは魂だという。木でできていて、座って抱き抱えるようにすると、子どもを抱いているような気持ちになった。弾き方を教わりながら、トンコリのことを話していた。音楽、楽器というものではなく、生活の中に在るもの。木を燃やす音や機織りの音のように。沢山の人に聞かせるために作られてはいなくて、親しい近しい家族のために唄う。だから大きな音は出ない。優しい音が鳴った。

言葉は、文字だけではない。でも、言葉と会話を区別するのが難しい。結局、まだよく分かってない。でも、誰かに言葉を伝えようとする時、それを武器だとは思わない。

今の所、私にとっての言葉は文化で、その人の表現で、つまり、相手のことを知りたいから言葉を知りたい、理解したいと思っている。

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