基本的にごみのブログ

ゴミとか日常とか

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2023.5.9 Monteverde COSTA RICA

久しぶりに文章を書きたくなった。人生自体が旅そのものやけど、その中でも今、「旅」を意識しながら生きている。生まれ故郷である日本を、自分一人で、自分の意思で、バックパック一つ(と託された重めのお土産)をからって出発した。コスタリカという、日本のほぼ真裏に位置する遠い場所で、私は今旅をしている。

始まりは、2022年の6月、屋久島を訪れた事だと思う。大工という仕事の中で扱う木材の、材になる前の生きている姿を見るために向かった屋久島の森。そこで出会った、何十年、何百年、何千年と生きている木々。湿潤な森の中に暮らす生き物たち。その森から流れる水源を辿れば浜につき、早朝、産卵に来た海亀の足跡を見た。島と、森と共に生きる人々の暮らしがあった。木を使って家を建て、また森の木の種から幼木を育てて森に戻す。木を扱う人々は、木を愛し、森を愛し、島を愛していた。わずかな滞在期間の中だったけれど、たくさんの人に出会うことができた。

帰郷後、この屋久島での経験をきっかけに、私は大学受験をすることにした。学生という立場で、地球上の様々な場所での自然の中にある人の暮らしを知りたいと思ったからだ。三ヶ月の受験勉強の末、不合格だった。大学生になることはできなかった。しかし、学びたいと思った気持ちは消えず、むしろ強くなっていった。人生で初めて、学びたいと強く思った。そしてその学びの場所は、日本の中だけではなく、地球のどこであってもいいと思った。

なぜ最初の場所をコスタリカにしたのだろうか。内戦の多い中南米の国々の一つ。その中で、軍隊を持つ代わりに福祉と環境に力を注いだ国。「コスタリカの奇跡」という映画を知ったことが、コスタリカという国を認知したきっかけだったはずだ。日本の沖縄という場所で人生の半分近くを過ごし、暮らしていた中で、日々変化していく不安の濃くなる様々な国の状況を感じながら、その流れを変えるヒントをコスタリカという国の中に見出せたら、見つけられたら、という期待。他にも、豊かな生物環境、環境保護への国の姿勢、整ったインフレ。生き物が沢山いて、サーフィンをするのに最高の波がくる。人伝の話や、わずかではあるけれど様々な情報に惹かれながらも、根底には「そこで暮らす人のことを知りたい」という、屋久島を訪れた時から持ち続けていた「学びたい」という熱をずっと持っていて、たまたま見つけて連絡をとってみたらあっさり入学の許可がおりたのがコスタリカの学校だっただけであり、実際の始まりの場所はどこであってもおかしくはなかっただろだろうし、どんな場所に行ったとしても、その場所での学びをしているだろうと、今思う。コスタリカの中で移動しながらも、私の視線の高さはいつも、変わっていない。

暮らすように旅をする人、と親友が私に言った。私は今、確かに旅をしていると思う。自分の意思で、旅をしている。文章を書きたくなったのは、一緒に旅をしたいと思う人たちがいるからだ。そして、私もいつか死ぬ時がくると知ったからだ。

今、旅を二つしている。学びたいという気持ちから始まった、自分の意思で出発した旅。もう一つは、生まれた瞬間から始まっている命の旅。二つとも、私にしかできない旅やけど、どちらにも含まれる、私の旅の核になるテーマがある。私を私にしてくれた、尊敬している、大好きな人達のように、優しくて強い人間になること、そして私が私であること。

今、コスタリカのモンテベルデにいる。そして、ここで生きている。旅をしながら生きていて、その旅の途中でたくさんの光景に出会っている。たくさんの人と出会っている。写真に写すことができない。言葉が見つからない。息を呑むような風景や、知らなかった感覚。幸せ、悲しみ。新しい表現。それを、その場で、ただ全身で感じていた。私の目で見ていた。そしてそんな時に、隣にいればいいのに、と、思う人たちがいる。今、目の前にある世界を分け合いたいと思う時が幾度もあった。桃色にだんだん染まっていく朝焼けの中、産卵を終えて海に帰っていく母ウミガメ。森の奥地で彷徨った末にコヨーテと遭遇したこと。真っ暗な世界に響き渡る虫達の声。蛍の光

もしも私の旅の世界がほんの少しでも伝わったら、一瞬でも同じ景色や感覚を共有できるんじゃないかと思った。だから、私の旅を、私の世界を文章にしてみることにした。

これは結局は私のための文章になるけれど、同じように、それぞれの旅をいきている人たちにもむかって書きたいと思う。f:id:wearegomi:20230510134849j:image

ことば

自分にとって、言葉ってなんだろう。言葉。言葉は武器だと留学パンフレットは言っている。「言葉は武器」という文句が引っかかっている。多分、よく耳にするからだ。引っかかるものは、手がかりにもなる。「言葉は武器」を手がかりに、自分にとって「言葉」が何なのか、洗濯物を干しながら考えていた。今日は、暖かい春みたいな日だ。

自分にとって言葉は「武器」ではないんだろうな、と思う。人間社会の中で、身一つで世界を回る格闘家やダンサー、パソコンがあればどこでも働けるプログラマー。自分が社会を渡るための道具、武器。そんな風な意味が「言葉は武器」の中にも込められているような気がする。

今日、鯨の話を聞いた。海に潜って、息を止め、そっと耳を澄ましていると、鯨の声が聴こえる。慶良間諸島の鯨の声が、沖縄本島まで届く。2000kmむこうから、鯨の唄が聴こえてくる。雄鯨の、雌鯨のための求愛の唄は、生まれ育った土地によっても、一頭一頭も違うらしい。鯨にとっての2000kmと、鯨の何分の1のサイズしかない、人間にとっての2000kmの感覚は随分違うんだろうと思う。人間には聞き取れない声も、鯨には聴こえているだろう。それでも、広大な海の中、一頭でいる時、他の鯨の声を聞いた時にどれだけ素晴らしいだろうか。全然わからない。沖縄を通ってアラスカにむかう鯨は、なぜその道がわかるんだろう。星を見ているんだろうか。鯨の唄を、言葉を聞いてみたいと思った。

アイヌトンコリというものがある。形そのものが人間を表していて、中に入っているコロコロと音が鳴るものは魂だという。木でできていて、座って抱き抱えるようにすると、子どもを抱いているような気持ちになった。弾き方を教わりながら、トンコリのことを話していた。音楽、楽器というものではなく、生活の中に在るもの。木を燃やす音や機織りの音のように。沢山の人に聞かせるために作られてはいなくて、親しい近しい家族のために唄う。だから大きな音は出ない。優しい音が鳴った。

言葉は、文字だけではない。でも、言葉と会話を区別するのが難しい。結局、まだよく分かってない。でも、誰かに言葉を伝えようとする時、それを武器だとは思わない。

今の所、私にとっての言葉は文化で、その人の表現で、つまり、相手のことを知りたいから言葉を知りたい、理解したいと思っている。

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目に入る景色の大きさは

北海道の農家で働いていた時に、上司と、なぜ北海道に来たのかという話になった。

高校生の頃、夏休みに北海道に、一人で旅をしたことがあった。私は食べることが好きだったので、旅の目的は美味しい食べ物だった。というか、鮭とばにはまっていて、大量に買って帰る事が最重要事項だった。あとは、なんとなく地図でみたときに、日本の一番北にあって、九州よりも大きな広い場所、というイメージを持っていて、その景色を楽しみにしていた。その時は一ヶ月もいなかったと思う。

「その時の体験があって少し馴染みがあったのと、旅の最後の方に「一年丸々いて、季節それぞれをみたい」と思ったからですかね。他にも理由はありますけど。」と言うと、上司はフンと鼻で笑った。「それに、大きいじゃないですか。風景が。」付け加えると上司はこう言った。「目に入る景色の大きさは変わんねえじゃねぇか。」私は絶句し、同時に「なんか違う」と思った。すごく反論したかったけど良い返しが見つからず、「なんか違いますよ。」とだけ言ったが、お互いに納得しなかったので「必ず返事を用意してきます。」と一方的に約束をし、今に至る。あれから月日は流れ、三年が経った。上司はそのことをきっと完全に忘れていると思う。私その間に沢山旅をし、大きな景色を沢山みてきた。そして、たまにその上司の言葉を思い出しては「絶対違う。」と確信を深めていった。ただ、その上司と一緒に旅にでて色んな景色を見ても、同じセリフを言いそうな気はすごくする。

なんでここまで、上司の言葉が残っているんだろう。そろそろ忘れてもいいかもしれないな、と北海道の写真を見ながら思った。ただ、もし上司と再開したら、旅の写真を沢山見せてあげようと思う。そしてその時北海道の農家で働きながら見たもの、畑からあがる水蒸気や、朝方の風に乗って飛ぶ蜘蛛の糸アイヌの唄やハクトウワシが止まっている木のことを、風景として私の中にいまだにあることを自慢したいと思う。「だから何なんだよ。」と笑われそうだけど。

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昔の家の記憶

私の実家は一度建て直している。昔の家を壊す時に妹は産まれていないから、妹にとっての「家」の思い出は、全部今の家の思い出なんだろう。

私の古い記憶、遡れる限りの古い記憶には、昔の家のことが多い。

家の目の前に私が通っている幼稚園があったので、校庭の端のフェンスによじ登って、よく家を見ていた。目の前に自分の家があって、猫が庭を散歩しているのが見える。フェンスを乗り越えれば、すぐに家に行けたのに。

家はまあまあボロボロだったらしい。父と母がそういうので、人にはそう言っていたが、本当はボロボロとは思っていなかった。というか、それが良いと思っていた。確かに、階段は軋むし壁は剥がれる、土壁は落ちるし雨の時は大量に雨漏りをした。家自体も傾いていたようで、父曰く「部屋の隅にビー玉を置くととんでもない速さで転がっていった」らしい。今思い返すとそうだけど、当時はそれを誇りに思っていた。友達に家を指差しては、「ね、うち、ボロいやろ?」と自慢していて、友だちが「うわ、ほんとだ!ボロ!」と言うのを賞賛と受け取っていた。自慢の家だった。

家の前には庭があり、松の木が庭をぐるりと囲むように生えていた。登ろうとしたけど、松の木の皮は沢山ささくれているので登れなかった。庭には大人の腰丈ぐらいに雑草が生い茂り、私が入ると見えなくなる。草まけするのが痛痒くてあまり入らなかったけど、昆虫やカナヘビが沢山いて、よく抜け殻を拾った。家と庭の間にはオレンジ色の細かいタイルが通路のように敷いてあり、そこを通っていくと洗濯物を干す場所に出る。紫陽花もその辺に生えていて、母と猫がよくいた。猫は外に置かれたベビーシートの上でよく寝ていた。干し場に入らずにまっすぐ行くあたりで、私の記憶は靄がかかっているけど、たしか裏は柿の木とフェンスがあったはずだ。小学校に上がった私はチャイムのなる5分前ぐらいにそのフェンスを乗り越えて校長先生に迎えられながら走って学校に行っていた。徒歩2分ぐらいの距離に学校があるのに、よく遅刻していた。

家の玄関の横には車庫があり、燕が巣を作ろうとする跡があった気がする。玄関の扉は覚えていない。入ると右側に靴箱があり、その下にクワガタやカブトムシを入れた虫籠がある。私はよく生き物を飼いたがり、またよく殺した。世話をしきれないのだ。クワガタをお年玉で買ったはいいものの、世話をせず放置して2年ぐらいたち、おっかなびっくり蓋を開けるとカサカサの土からクワガタが生きて出てきて驚愕したことがある。いったい何を食べて生きていたんだろう。

玄関に上がると細長い通路があり、まっすぐ進むと右手にドアがある。居間と寝室、キッチンがある。左手にはトイレとお風呂だ。

思い出し始めると、古い記憶がどんどん流れてきてとめどない。でも、この家はもうなくて、家の記憶が更新されることはない。きっと忘れていくだけだから、思い出したら追記していこうと思う。

父と母ともう1人の妹は、あの家のことをどう思っていて、どんな記憶をもっているんだろうかと思う。それを擦り合わせたら、あの家が甦るような気がしている。

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忘れる事

冷蔵庫をあけると食材がない。一週間家を空けていたのだから、当然だろう。買い物に行くことにした。買うものを紙きれに書き、机に置く。洗濯物を干してから買い物に行こう。そうして目を離した5分10分の間に、メモした紙きれは紛失する。

昨日の晩は何を食べたのだっけ。こないだ会ったあの人の名前。最近発売された本の題名。日時を忘れ、予定を忘れ、鉛筆や消しゴムが恐ろしいスピードでなくなっていく。

そしてそれらは、忘れた頃に出てくる。

神経衰弱というトランプゲームがある。

順番に2枚ずつ裏返したカードを捲っていき、数字を合わせる。記憶力が要のゲームだけれど、私は中学生に入る前ぐらいから諦めていた。ただでさえ覚えられないのに、覚える気力すら無くしてしまっては、もはや神経衰弱というゲームで勝つことはほぼ出来ないと言ってもいい。

こうした日々の暮らしの中で支障のある「物忘れ」について、私は半ば諦めていたように思う。「人は忘れる生き物だから」。と言って。

しかし、いつからこんなに忘れるようになったんだろう。正月にふと思いつき、「忘れるということ」について、皆んなで話していた。

その中で、とても印象に残っている話がある。

 

「忘れる」というのは、人間の持つ機能なのではないか。人は、悲しい時、辛い時、苦しい経験をした時、そんな記憶を、忘れてはいけない、ではなく、忘れられない。忘れたくても忘れることはできない。それでも、時間というものが、忘れるという機能がある。それは、人間にとって救いなのではないか。勿論、覚えておきたい、ずっと残しておかなければならないということもある。それでも、どうしても、同じように、それらも風化するように少しずつ色褪せていくものだ。それが、「忘れる」ということなんじゃないか…。

 

私は「忘れる」ということを、少しの諦めと、自分の要素の1つだと思っていた。話を聞いて、「忘れる」という事によって救われた昔を、少し思い出していた。そして、自分に寛容になれた感覚を持った。無意識やけど、忘れるのは良くないと、責めていたのかもしれない。「私は忘れっぽい」と自分を決めつけていたというか、思い決めていた事を見つけたようにも思う。

忘れるというよりも、記憶する部分が変わっているのではないか、と少し前に考えた事がある。名前や数字、位置など、視覚や情報などの記憶から、他のものとの関連性をもったものや、五感に即した記憶というふうに。それと同じように、「忘れる」というものも色々あるんだろう。まあ、とにかくやっぱり物忘れの方は止めようとは思ったけれど。

記憶する事と忘れるという事は、同じ部分にあるのだろうか。だとしたら、メモリーカードみたいに記憶する容量が決まっているんだろうか。もしそうなら、忘れたいことは忘れたいし、覚えときたいものは覚えときたい。でも、そんな単純じゃないことは経験でなんとなく分かっている。

風が吹けば風化していく。私の大切な記憶も風化していくんだろうか。大切なものが消えてしまうかもしれないのは怖いけれど、風が吹かなくなるのは、もっと怖いかもしれない。

私にとって救いなのは、今、生きているということだ。そして、風化していく中にも、未だ変わらずに新鮮なまま、香りや声までもが、むしろ鮮やかにあるものがあるということだ。

私は今24歳。多分もうちょっと人生は長いはずだ。きっと、大切なものは増えたり大きくなったりする。悲しいことや辛いことだってきっとある。そして、たくさん覚えてたくさん忘れるんだろう。

そんな未来が、たのしみでしかたない。

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泳ぐ

沖縄に帰ってきた。

仕事終わりに海に入る。

空気を吸って潜ると、体が自然と浮かぶ。浮かびながら濁った水中を見る。海の中には沢山の音があると教えてもらった。本当にその通りだ。パチパチと弾けるような音はサンゴの音らしい。漂っているだけですごく満ち足りた感覚。

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小さい頃から、空を飛ぶのが夢だった。

海に浮かんで、ただ浮かんだままに海の底をみていた。

夢がかなったと思った。